小学校時代の運動会。
ここのところ天気予報などでよく運動会の話題が出ていますよね。
「独り身のすももには関係ね〜や!」
と言いつつも、近所に小学校があるので運動会の日は見にいく家族や、運動会の音が聞こえてくるんですよ。
そんな運動会だけど、友人とかと学生時代(特に小・中)の運動会の話している時に感じるのが、楽しそうな人と淡々と話している人がいるなと言うことなんです。
この差ってどこからくるのかな?
なんてことをちょっと考えてみたら、どうもこれって足が速いとか球技が得意とか、なんだか運動神経に関係してるような感じがしてきました。
運動会の思い出といえば?
運動会の思い出
そう聞かれたときに浮かぶことってなんですか?
- 徒競走
- 玉いれ
- 借り物競走
- ダンス(和・洋)
- 騎馬戦
- 棒倒し
- 組体操
- リレー
- などなど
他にもいろいろあるでしょうが、すももはやっぱりランチタイム!
給食の学校だったので運動会のお弁当は、すっごい楽しみでしたね。
そんな特別に豪華なわけじゃなかったと思うけど、学校の校庭という日常とは違うシチュエーションって、子どもにとってもなんだかワクワクしたことを覚えています。
友達の家族といっしょに食べたりしたことも思い出ですよね。
学校の給食のときが席の近くの人との班ごとで食べる形式だったので、友達とランチって本当に楽しかったということだけは覚えてるんです。
他に何を覚えてるかな?と思い出してみると、「毎日ダンスの練習があったな」とか「棒倒しは怖かったな」「玉入れ入らないなあ」などなど、あまり競技の記憶ってないんですよね。
写真なんかはもちろんありますよ。
あくまでも記憶・思い出っていうことになると、正直「運動会があったなあ」くらいなんですよ〜〜
ところが友人や知人などと運動会の季節にこの手の話題が出たとき、ものすごく楽しそうに語る人っていません?
「よく覚えてるね」
と、感心しちゃうくらい。
運動会の思い出は運動神経が関係しているのかも
運動会の話題のときの温度差って、なんであるんでしょう。
例えばすももだと運動会全体の印象やすごい活躍した人がいたことは覚えているけど、熱く語る人は競技自体を楽しかったっていう人が多いような気がします。
「タッチの差で2位だったのが今でも悔しい」
「いつもリレーの選手だった」
「棒倒しで上まで登った」
「騎馬戦で帽子をたくさん取った」
他にもいろいろありますが、小学校の運動会の思い出っていうと、どちらかというと活躍系が多いような気がするんですよ。
これが中学や高校ってなると、応援合戦や準備のことなんかが入ってくるんですよね。
これはもしかしたら、運動神経のいい人って運動会では花形、スターになるじゃないですか。
それって関係があるのでは?
すももははっきり言いまして、決して運動神経は良くありません。
ボール投げは必死に投げても「真剣に投げろ」と怒られたり、50メートル走は9秒台という平均以下のタイム。
なのでとくに運動会で活躍した記憶はなくて、徒競走で4位に入ると、
「お〜、自分スゴイじゃん!」
くらいのレベルでしたからね。
でも、足の速い人はリレーに選ばれてとっても嬉しそうだったり、バトンの練習とか一生懸命やっていた気がします。
他の競技に対しても、子どもでも得意なことだと熱中して参加して、全力で頑張ってました。
一生懸命ってやっぱり思い出になりますよね。
運動神経がいいからだけじゃなくて、運動会に向けて一生懸命努力をしたからこそ、自分の中でいい思い出になっているのかも。
すももはそうじゃなかったからあまり思い出がないのかもしれませんね。
運動神経がなくたって楽しまなきゃ損
まだこれから運動会という学校もあるらしいですね。
すももはちょっと関係ないかなって思ってますが、子どもが運動会って方は多いと思います。
運動が得意・不得意関係なく、一生懸命走ったりしている姿ってやっぱり応援したくなっちゃいます。
ビリだって全力で走ることが大事なんですよね。
でも、こういうことって大人になってから気づくことがほとんどなんですよ。
子どもの頃はまだわからないかもしれないけど、もしもタイムマシンで子どもの頃の自分に会えるなら、
「運動会一生懸命参加しとけよ。将来いい思い出になるからね」
そう声をかけてやりたいものです。
とりあえずは運動会の当日雨が降らないように、てるてる坊主に願いを込めておきますか♪